梧竹めぐり(Gotiku Walk)

明治の三大書家のひとりとされる中林梧竹(なかばやしごちく)さん。

小城市出身の書家で独特の書風で知られ、日本近代書道の基礎を築いた「書聖」と呼ばれています。

 

そんな中林梧竹が生まれた小城市には、まちを歩くと揮毫した神社の鳥居や燈籠、直筆の書画などが点在しています。

※上の写真は小城駅前にある梧竹さんの像です。

 

今回は、そんな近代日本を代表する偉大な書家が残した石碑などをめぐります。

目次

中林梧竹 生誕地

メイン通りからパン屋さん「シュクル」の角を曲がって数メートル行ったところにあります。

※メイン通りにあるパン屋さんのかどを曲がって、左側にあるのが誕生地跡のパネルです。

 

こちらで書聖と呼ばれた梧竹さんが文政10年(1827)に生まれました。

小城公園

石碑には中林梧竹の篆書で「桜岡公園」と刻まれています。

江戸時代、この場所にはかつて「鯖岡」という小さな丘があり、小城初代藩主の鍋島元茂は桜を植えて茶屋をつくりました。

二代藩主の鍋島直能は、この場所を「桜岡」と改称し、吉野の桜などを移植したり南に池や建物のある庭園をつくるなど公園の範囲を拡大。

江戸時代から続いた庭園は、明治8年(1875年)に佐賀県で初めての公園として「桜岡公園」となり、公園が誕生したことを記念してできたのがこの石碑です。

梧竹 退筆塚

大正2年(1913)、中林梧竹が87歳で死去したことにより、翌年の大正3年に多くの寄付で「梧竹 退筆塚」が建立されました。

高さは約5mもあり、題字は幕末の藩主・鍋島直虎によるものです。

標石の「信哉」は梧竹による晩年の書が刻まれています。

梧竹ロード

藩邸跡から梧竹生誕地にかけての道は梧竹ロードと名付けられ、中林梧竹の書を石碑にしたモニュメントが展示されています。


「快雨」
心地よい雨という意味で梧竹さんが59歳のころの作品です。

恩人の余元眉が中国に帰国する際、長崎まで見送りに出向き、その帰途の有田で書いたものとされています。

「海外飛香」
中林梧竹の代表作の1つで、左上の「飛」の字は個性的です。

「あな嬉し ふるさとちかくなりにけり くまもに見ゆる小城のあめ山」

梧竹が87歳のとき、帰郷する際に天山を眺めて詠んだものとされています。

※なお、これらの実際の作品は、近くにある中林梧竹記念館(別名・桜城館)で展示されています。

まとめ

いかがでしたか?近代書の祖、書聖として有名な中林梧竹さん。

偉大な書家として有名な梧竹さんが残した石碑の数々は、歴史と文化の雰囲気がただよう、小城のまちに溶け込んでいます。

※上の写真は、中林梧竹が明治31年(1898年)に富士山頂に建立した銅碑と同じもので、天山の8合目に設置されています。

 

近くには小城公園もあり、特に春は桜がきれいで家族で行くのにはぴったりです。

小城に来られた際はぜひどうぞ。

DATA

  • 名称:梧竹通り ごちくどおり
  • 住所:佐賀県小城市小城町

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