石工の里 その2(Ishiku Home)

牛津町砥川エリアは江戸時代、佐賀の石材産業の中心地として「砥川の石工集団」が活躍しました。

 

現在は「石工の里」として付近の神社、道端には肥前鳥居、六地蔵塔などの石像が点在。

 

今回は石工の里シリーズの第2弾として、代表的なスポット3か所をご紹介します。

目次

空山観音

牛津町にある「空山観音堂」です。

 

場所は、牛津のグリーンパークから肥前仏舎利塔に向かう途中にあります。
 

車一台通るのが精いっぱいというような狭い山道なので、運転には注意が必要です。
 

しばらく道なりに進んで、右手に分岐する道を鋭角に曲がると、観音堂がひっそりと建っています。

 

ずらっと石仏が並ぶ「空山観音三十三体石仏像」です。

 

観音堂は近くにある長勝寺の奥の院で、石仏は元禄9~15年(1696~1702年)にかけて平川徳兵衛、同与四右衛門らの砥川石工によってつくられました。

 

33体もある石仏は、どれもがまるで木彫仏のような!?精巧さと非常に高い彫刻技術によって製作され、表現力が豊かな観音様です。

 

砥川石工が活躍した江戸時代中期の代表作品として歴史的、文化的価値が高く、現在は小城市重要文化財に指定されています。

 

こちらの観音堂ができた理由は、観音菩薩が33の姿に身をかえて人々を救済するという観音信仰によるもの。

 

京都の三十三間堂や西国三十三所めぐりと同じように、こちらの観音様も人々を救う万能の仏さまがいるパワースポットとして、古くから多くの人々の信仰の対象となっています。

 

人里から離れた静かな山の中に、自然と一体となってひっそりとたたずむ観音堂。

 

深い山の中で自然に溶け込んでいて、神聖な雰囲気のパワースポットです。

常福寺

牛津町にある「常福寺」です。

 

場所はあの砥川の石工集団が拠点とした谷集落や肥筑平野を一望できる山の中腹にあります。

 

平安時代、弘法大師によって創健されたお寺で、本尊の「薬師如来坐像」と「帝釈天立像」は国指定の重要文化財になっています。※見学するには事前に申込が必要となります。

 

境内には石工集団の作とされる石仏が多く安置され、佐賀県の石仏発祥の地のひとつになっています。

 

中でも「如意輪観音像」や「地蔵菩薩像」は町の重要文化財に指定されています。
 

地蔵菩薩坐像

中央の背が一番高い石像が地蔵菩薩坐像です。

 

元禄2年(1689)の作といわれています。

如意輪観音像

地蔵菩薩から右側へ二つ目の石像が如意輪観音菩薩です。

 

名工平川与四右衛門が願主となり奉納されたもので、享保21年(1736年)の銘があります。

 

内砥川八幡神社

牛津町にある「内砥川八幡神社」です。

 

神社の参道から境内まで、戦国時代のものとされる肥前鳥居が3つあります。

 

こちらの鳥居は、町内最古の建立と考えられ、近世石工の成り立ちを考える上で貴重とされています。

 

また、境内のあちこちには個性あふれる狛犬たちが見られます。

 

通常、狛犬といえば悪者から神様をお守りするいかにも強そうなイメージですが、こちらは「肥前狛犬」と呼ばれるものでちっちゃくてかわいい形が特徴。

 

石工さんたちの発想で、ゆるキャラといってもいいほどの愛らしい姿にデフォルメされ、見るだけでほんわかとした雰囲気になります。

 

その他にも優しい表情とかたちのお馬さんでほっこりします。

 

初期の肥前鳥居や、狛犬などとともに江戸時代にタイムスリップした雰囲気がただよう神社です。

まとめ

いかがでしたか?

 

牛津町砥川地区はかつての佐賀における石材産業の中心地で「砥川の石工集団」が活躍した痕跡として、肥前鳥居や肥前狛犬など石工さんによってつくられた石像が今も残っています。

 

電動のドリルや研磨機がない時代、名工として有名な平川与四右衛門の石仏など手作業で生み出された優れたアート作品が点在している牛津の「石工の里」です。

 

DATA

  • 名称:石工の里 いしくのさと
  • 住所:佐賀県小城市牛津町上砥川周辺