春雨まつり特集(Spring rain festival)

今回紹介するのは、佐賀県小城市の春雨まつりです。

小城観光の春を象徴する伝統行事「春雨まつり」。
その源流は、江戸時代後期に生まれた端唄の名曲「春雨」と、
小城出身の文化人・柴田花守(1809–1890)にあります。

今回はそんな歴史の名残が香る小城春雨まつりについてご紹介します。

目次

春雨まつりとは

春雨まつりは、
小城の歴史・長崎丸山の花街文化・幕末の時代背景を内包する、
小城市を代表する文化観光コンテンツです。

端唄「春雨」とは

端唄「春雨」は、江戸時代後期に成立した小唄の代表作。
三味線の伴奏とともに歌われる、情緒豊かな芸能です。

春雨に濡れる情景、
梅の香り、
揺れる女心。

その繊細な世界観は、幕末から明治にかけて全国的に流行しました。

現在も三味線・日本舞踊・邦楽の演目として受け継がれています。

春雨に しっぽり濡るる鶯の
羽風に匂う 梅が香や
花にたわむれ しおらしや

小鳥でさえも 一筋に

ねぐら定めぬ 気は一つ

わたしゃ鶯 主は梅

やがて身まま気ままになるならば
サァ 鶯宿梅じゃないかいな
サァサ なんでもよいわいな

<現代語訳>
春雨にしっとり濡れる鶯の
羽風で漂う梅の香りよ
梅の花に戯れるいじらしさ
はかない小鳥でさえもひとすじに
ねぐらは決めた梅の木にするもの
私は鶯であなたは梅
いつかわが身が思いのままになるならば
鶯宿梅になれるかしらん

ああもうどうだって良いわ

柴田花守とは(小城出身の文化人)

柴田花守(1809–1890)

  • 文化6年(1809年)小城生まれ

  • 若くして長崎へ遊学

  • 和歌・書画・神道・思想に通じた多才な人物

  • 端唄「春雨」を作詞

  • 明治期には教導職として宗教行政にも関与

当時、日本唯一の海外交流の窓口であった長崎・丸山。
花守はこの地で文化・芸能・思想に触れ、
「春雨」を世に送り出しました。

小城が生んだ、全国区の文化人です。

長崎・丸山から全国へ広がった「春雨」

幕末の長崎・丸山は、花街文化の中心地。

「春雨」は丸山の芸妓によって節付けされ、
舞踊とともに広まりました。

幕末から明治にかけて全国に流行。
明治以降も芸能界で歌い継がれ、
現代に至ります。

小城に戻った「春雨」

昭和37年(1962年)、
小城で「春雨」を顕彰する動きが起こります。

昭和38年(1963年)、
小城公園に「春雨の碑」を建立。

これを契機に
小城 春雨まつり が始まりました。

以降、長崎検番の芸妓による舞踊披露を中心に、
小城の春の恒例行事として継続しています。

小城 春雨まつり 年表

1809年(文化6年)

柴田花守、小城に生まれる

幕末期

長崎・丸山で「春雨」作詞

明治期

端唄「春雨」が全国的に流行

1962年(昭和37年)

小城で顕彰の動き始まる

1963年(昭和38年)

小城公園に「春雨の碑」建立
第1回 春雨まつり開催

2023年(令和5年)

60回を迎える

現在

60年以上継続する小城観光の文化資産へ

小城観光における春雨まつりの意義

春雨まつりは単なるイベントではありません。

それは

  • 小城の城下町文化

  • 長崎との歴史的つながり

  • 幕末から明治への転換期

  • 日本の伝統芸能

これらを体感できる歴史観光コンテンツです。

小城観光の中でも
「物語性」を持つ数少ない文化資源の一つです。

春雨の碑(小城公園)

小城公園には
端唄「春雨」の歌詞が刻まれた石碑があります。

春雨まつりは、
この碑前での舞踊披露から始まります。

観光で小城公園を訪れる際は、
ぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。

なぜ今、春雨まつりが重要なのか

人口減少、文化継承の課題。
地方都市において「継続する文化」は貴重です。

60年以上続くという事実自体が、
小城の文化力を示しています。

観光とは、単なる消費ではなく
物語を体験すること。

春雨まつりは、
小城という地域が持つ“時間の厚み”を体感できる機会です。

天山・小城公園・清水の滝など自然観光だけでは伝わらない
文化的な小城を象徴する行事です。

小城観光をより深く楽しみたい方に、
ぜひ知っていただきたい歴史です。

こうした歴史に思いを馳せながら観て回ると
ドキドキするような歴史観光スポットが
小城にはたくさんあります。
是非一度、歴史を訪ねて来てみませんか?

DATA

  • 名称:小城春雨まつり
  • 住所:佐賀県小城市小城町周辺

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