高田保馬博士(Dr.Takata)

今回ご紹介するのは、小城出身の高田保馬(たかたやすま)博士です。

目次

高田保馬(たかたやすま)博士とは?

高田保馬博士は世界的な社会学者・経済学者として活躍し、京都大学などの名誉教授を歴任したとても偉大な方。

 

我が国に近代経済学を導入し、多くの優秀な学者を育てたことで「日本の近代経済学の父」「日本社会学の父」とも呼ばれています。

 

博士は小城市三日月町の出身で、図書館や体育館などがある三日月町ドゥイングの前には胸像があります。

 

三日月町内には現在も生家が保存されています。 (外観のみ、内部の見学は不可)

著名な文化人としても活躍

そんな高田博士は優れた歌人としても知られ、歌集を発行したり宮中歌会に招かれるなど、郷土をこよなく愛した文学者としても偉大な功績を残しています。

 

小城駅のロータリーには博士の和歌と共に、親交のあった与謝野鉄幹・晶子のモニュメントが設置されています。

 

「肥の国の 三日月村はひしの花 こもの花咲き 母老いませり」

川古の大クス

武雄市にある川古の大楠は、樹齢3000年で日本の巨樹ベスト5に入るほどの大木。

 

そんな大楠のそばにも、博士の歌が刻まれた歌碑があります。

 

「日盛りの 川古の里の大楠の 木かげに母と またいこはめや」

荻岳展望所

昭和39年に宮中御詠歌会の召人となった際に、阿蘇ゆかりの歌を詠んだもので、荻岳の山頂にモニュメントがあります。

 

「白々と末はみ空のくもに入る 波野の原の ほすすきのむれ」

佐賀西高校の玄関前

京大ゼミの門下生一同が建てた歌碑です。
「ふる里の 山は懐かし母の背に 昔ながめし 野火のもゆるも」

今でも歌い継がれる多数の校歌

さらに高田博士は佐賀県下の校歌などの作詞も多く手がけられました。

 

今でも地元の小中学校や進学校など、多くの学校で博士の作った校歌が歌い続けられています。

佐賀西高校

佐賀西高校の歌詞(別ウインドウで開きます)

佐賀北高校

佐賀北高校の歌詞(別ウインドウで開きます)

有田工業高校

有田工業高校の歌詞(別ウインドウで開きます)

佐賀農業高校

佐賀農業高校の歌詞(別ウインドウで開きます)

小城中学校(小城)

小城・小城中学の歌詞(別ウインドウで開きます)

三日月中学校(小城)

小城・三日月中学の歌詞(別ウインドウで開きます)

三日月小学校(小城)

小城・三日月小の歌詞(別ウインドウで開きます)

三里小学校(小城)

小城・三里小の歌詞(別ウインドウで開きます)

まとめ

優れた社会学者・経済学者で歌人だった高田保馬博士です。

 

最後にそんな博士が、未来の後輩たちのために残した歌をご紹介します。

 

「小さきは 小さきままに 花咲きぬ 野辺の小草の 安けさをみよ」(三日月小学校の歌碑)

 

(訳)小さいものは 小さいものなりに 花が咲いている。野原に咲く草花の なんと(心が)安らかなことか。

 

(意味)野道に咲く小さな花は、別に誰かに褒められなくても心安らかにすごしています。

 

人間も自然の一部で、世間からみれば名前も知らない小さな花みたいな存在ですが、一人ひとりには与えられた素質や本分があります。

 

小さいものは小さいままに、あなたはあなたのままに。

 

小さなタンポポががんばって咲いている。自分だって一生懸命やればいいじゃないか。

 

何にも縛られる事なく、自然体のままで精一杯、自分の花を咲かせましょう。

 

自然のままに咲く野辺の草花にも、真の安らぎを見出そうとした高田博士からのメッセージです。

DATA(高田博士 生家)

  • 名称:高田保馬博士 生家 たかたやすまはかせ せいか
  • 住所:佐賀県小城市三日月町金田803
  • 問合せ先:0952-73-8809(小城市教育委員会 文化課)

DATA(高田博士の胸像)

  • 名称:高田保馬博士の胸像 たかたやすまはかせのきょうぞう
  • 住所:佐賀県小城市三日月町長神田1845 ドゥイング三日月前